自己紹介

小松麻衣子(maico)
ご訪問ありがとうございます。アカシック占星術師のmaico(まいこ)です。
長年人の目を気にし、正しさにこだわって生きてきました。自分を生きていなかったせいで、常に自分に自信がなく生きづらい日々。
なんとかそんな現状から脱したい!という一心で模索していたところ、西洋占星術とアカシックレコードに出会いました。自分の青写真を知ったことで、人生は一変しました。そうして自然と占星術鑑定を通し、夢を叶える無意識の扱い方をお伝えしています。
アカシック星読みコーチmaicoの自分史
天真爛漫で冒険好きな幼少期

1980年大阪生まれ。3人兄弟の長女として生まれる。
体を動かすこと、友達との外遊びが大好き。夢中になりすぎて家に帰ることを忘れてしまうこともしばしば。その度に親に怒られて締め出されてしまい大泣きするのだが、それでも何度も繰り返してしまうような子だった。
(当時その様子を見ていた3歳下の妹は、何度も同じことを繰り返し怒られている私のことを不思議に思っていたらしい。)
また知的好奇心が旺盛で、母親にくっついてまわり「どういう意味?なんでなん?これ何!?」と質問攻め。
大切だった本は「なぜなに図鑑セット」。繰り返し眺めていたページは
「なぜ人は死ぬの?」
「どうやって人は生まれたの?」の項。
口癖は「いいこと思いつーいた!」。
両親
父親は家にいる時間が極端に少なく、いつ怒鳴り出すかわからない人だった。母親に対しての執着は強く、子どもに対しては全く興味のない態度だった。(後に別宅があったと知る。)
両親の口喧嘩は日常。私たち兄弟はいつもビクビク。いつしか大人の顔色を伺うことが日常となっていった。
母親は料理も掃除も行事も全て徹底的に完璧にこなし、真面目に一生懸命育ててくれた。とても一貫性のある筋の通った母だった。
しかし当時の写真にはリラックスした笑顔の写真はない。
私は母親を喜ばせ、母親の期待や理想を勝手に全て叶えようとすることにいつしか一生懸命になっていた。
自分を出せなくなっていった学童期

クラスメイトがこちら側を見て談笑しているだけで、自分の悪口を言われていると捉えるようになっていた。内心いつもおどおど。それを悟られないように顔はポーカーフェイス。すっかり心が閉じ、自分から友達を作れなくなっていった。
コンプレックスの塊の思春期
スポーツや勉学自体は好きだったけれど、無駄に思える強制的な行事や勉強時間に苛立ちを隠せず、いつも不満でいっぱいの態度。
人からどう見られているのかを気にするあまり、傷つかないで済むようにと自称「冷めた女」を公言するような、無感情無表情な中高生時代を送っていた。
趣味もやりたい事も一切なくて、唯一好きだった音楽を浴びるように聴き続けて過ごした。誰とでも臆せず話せる同級生、イベントを全力で楽しむ同級生が羨ましくて仕方がない、受け身で卑屈な学生だった。
ワーホリからの進路変更
進学は4年生大学へ進む子が多い中、短期大学を選択。英語を専攻したが、ここでも馴染めず、講義を抜け出してはその当時関心の高かった児童心理や発達心理、死をテーマにした本や映画を観て過ごしていた。
英語や海外に興味があり、ワーホリ代を貯めるために次第に学校よりアルバイトを優先するようになっていった。本格的にワーホリの準備に入るために短大を中退。
あともう少しで目標額を貯め終えて渡航しようとしていた矢先、長男を授かり母となる。
身内に両親仲の良い家庭がなかった環境だったため結婚願望は一切なかったが、子どもも彼も大好き。即座にワーホリから予定変更。
駆け抜けた子育て主婦時代
元々の子ども好きに加え、自ずと自分の役割が与えられたことで息を吹き返すかの如く喜びに満ち溢れる日々。やりがいを感じて「これぞ私の天職だ!」などと公言するほど。
集団生活から完全に解放された世界も私には合っていた。
妊娠出産があまりに楽しすぎて自宅で無介助の水中出産を選択。
子ども達が小さいうちは自然のある地で育てたいと、築100年超えの里山古民家へ移住。
「教育」に関心が高かったため、自然とホームスクールを取り入れる子育てを始めた。
世間や学校や夫との意見の違いに苦労しつつも、5人の子たちはそれぞれ自身のタイミングで学校へ通う事を選択したり、家で過ごす事を選択したりして日々を送るようなそんな家庭スタイルを作っていた。
誰かのために生きるのはとても楽しく、またとても楽だった。
ハッと我にかえる
振り返ると妊娠出産授乳で駆け抜けた丸10年間だった。
末っ子の授乳が終わり、珈琲やお酒という嗜好品を嗜み始め、夫とも晩酌をするようになった頃、徐々に自分の中で言葉にならないモヤモヤを認識し始めた。
5人の子どもがいながらママ友は本気の0。いかに人付き合いを避けてきたのか、関われて来れなかったのかが分かる。
他者の前で自分を素直に表現できない。
それどころか、そもそも自分が分からない。
自分は何が好きで、何が嫌いなのかさえも。
母親たるものまずは夫子どもの事を最優先にして当然。自分の事を考えるなんていけないとさえ思っていた。それが私の知る母親としての理想像。私の母親の在り方そのものであり、当時の信念だった。
母親の自慢の娘を演じていたのではないか。という事に気がつき始めた頃でもあった。
愕然とした。
これまで私の意思だと思っていた事、全て母親を意識したものだったのだ。
自分が自分だとわずかに思えていた部分さえ崩れてしまった。
占星術との出会い〜生まれ直し
12星座占いには「太陽星座」以外に「月星座」っていうのもあるらしい。ってことを知ってから、西洋占星術にハマるのに時間はかからなかった。
家庭菜園を始めたら無肥料の土までこだわりたくなったり、編み物を始めたら糸から作りたくなって羊の汚毛洗って紡いで糸にするところから始めたり、パン作りは酵母を起こすところから始めたくなったり。
いちいち元まで辿りたがる癖があったから、私にとっては占星術の世界観に夢中になるのはごく自然な流れだったようだ。
私は生まれた時から自分より他人を優先させないといけないという信念をインストールし、採用して生きてきた。
それゆえ自分の事を堂々と考えた事がなかったし、自分のことばかり考えてはダメだと思っていた。恥ずかしい事だとすら思っていた。
そんな私でも、西洋占星術の勉強を通してなら堂々と自分の事を掘り下げられる。
そうして繰り返し繰り返しホロスコープを通して自分を観ていくうちに、本当に驚くほどモヤモヤが晴れていき、自己卑下も、捻くれた受け取り方も、徐々に減少。
自分を好きになりたい、自信を持ちたい、でもどうすればいいのかさっぱり分からない!そんなのも、気づけば問題にしなくなっていた。
話は遡り、、、
あまりに未熟で不器用だった夫婦
結婚当初19歳だった二人。特殊なほど言葉のコミュニケーションがまともに取れない二人だった。
夫はお酒を飲んでリラックスしてようやく少し言葉を話し出すような感じで、話しかけてもうんともすんとも返答が返ってこない事も多かった。何時間も返事を待つこともあった。
話にならないから、なんとか思いを口にさせるために何度喧嘩を仕掛けて挑発したか分からない。
夫は朝早くに家を出て夜遅くに帰ってくる。今でいう「ワンオぺ」状態。当時は当たり前の役割分担だと思っていたから、それ自体は何とも思わなかった。
眠りの浅かった次男と三男とのそれぞれの1年間は流石に参ったけれど。
けれど2人以上の子供を欲しがったのは私だったし、そもそも私が父親にしてしまったという罪悪感すら抱いていたので、子育ての弱音を口にするなんて事はありえないことだった。
今思うとお互い本当に必死で自分たちの事を省みる余裕も、二人で向き合う時間を作ろうという余裕も全くなかったんだと思う。
(ちなみにこんな状態でよく夫婦を続けたねと思われるかもしれないが、2人が最も大切にする価値観やヴィジョンが同じだったと分かっていた。もちろん和やかな時間もたくさんあったし、何よりただただ大好きなのだ。)
初めての、夫へのヘルプ
占星術を始めて約1年半ほど経ったある日のこと。
突然、私のこれまでの15年の子育てが全否定されるように思える衝撃的な出来事が起きた。ついに私は立ち行かなくなった。もう、お手上げだった。
そうして初めて
「もう、私一人じゃ無理みたい。助けて。。。!!」と伝える事ができた。
自分の中のあらゆるものが、まるで雪解けのように解け始めた瞬間であった。
みるみる育まれた夫婦関係
日々取り組み続ける自己認識により、私は私をそのままで肯定できるようになっていっていた。
苦手なことは苦手で得意なことは得意だと、素直に認められるようにもなっていて、無理をしないように細心の注意を払うことも始めた。
自分の心地よさをひたすらに追求し、ストレスとなることを片っ端から手放せるように工夫に工夫を重ねたのだ。
家を居心地の良い空間に整えて、美味しいご飯を作る。それは得意だし好きだしやりたいと思えること。
逆に苦手だったのは、ゴミの日を把握して捨てること、多すぎる毎日の食材の買い出し、多すぎる洗濯物干し、朝起きる事、だ。
その苦手を徐々に素直に助けてもらうようにしていった。すると毎日が本当に楽になって圧倒的な気持ちのゆとりも出始めた。
遠慮なくやりたい事をやれるようになっていく。そして好きなことに夢中になればなるほど私はご機嫌になり、子どもたちも夫も目に見えて嬉しそうにする。それは自分の目を疑うほどの劇的な変化だった。
ああ、そういう事だったのか. . .
夫婦の時間も大切にしていいんだと思えるようになってからは、二人だけの時間を持つようになっていった。これまで殆ど2人きりで過ごしたことがなかった事もあり、何もかもが新鮮だ。
不器用なところは変わらないけれど、お互いが丁寧に言葉を交わすようになった。言葉がなくても言葉以上に伝わり合うことも常だった。
一つミッションを終わらせた感覚
やり終えた。完成させた。もう次のステージだ。
これまで外側の価値観を採用し続けてきて随分と消極的に生きてきた私だったが、選択の場面だけは全て不思議なほど迷いない直感だ。
それが来た。
こんなにも最高のパートナーになれた二人なのに、なぜ。と流石にあちらこちらで驚かれはしたが、違和感とも言えるような自分の感覚は、一度でも感じると絶対に誤魔化せない事は分かっていた。
微かにでもやってみたいと感じたら、私はやるに決まっている。この感覚になると、うまく行くとか行かないとかそんなことは全く頭をよぎらない。
ただやる。
ということで、いろんな事を総仕上げし、現実的にも段取りと後片付けと準備を万端にこなし、離婚。
占星術と瞑想とタロットと旅の日々
自分のパターンに気づき、自分を解放し、自分の人生を真の自分で体験し、自分を全発揮する。そのために「占星術と瞑想とタロットと旅」をツールとし、全ての時間を霊的探究に使わせてもらっている。
ひたすらに自分に没頭しているのに、自分を取り巻く世界は何もかもが夢のように優しい世界になっていく。
今世の目的を完全に思い出す
私は「死の瞬間を迎えるその時」のために、毎日を生き、探究を続けている。感覚として自分のゴールを思い出した時の感動は、言葉に出来ない。
今はもう何者であってもなくても、何をしてもしなくても、どこにいてもいなくても、どの瞬間も、エンドレスに満ち満ちているのを感じる。
そして自分の「歓喜」をバロメーターにし、ようやく本当の意味で生き始めたところ。
